現在、日本、いや人類は今まで体験したことのない大きな変化に晒されている。
だが、目まぐるしく変化する世界情勢の中で個人の価値観、生き方も変化しつつあるが日本の社会システムは何も変わっていない。
今の日本の社会システムは1960年の高度経済成長にできあがった制度だ。それをそのまま引き摺っている。

1960年代、工業化社会と人口ボーナス、そして終身雇用、年金制度、医療保険などを始めとする日本型社会制度は日本に大きな繁栄をもたらした。

今では、バブルは崩壊し、インターネットによる情報化社会が広がり、そして終身雇用は無理の有る制度として、その歪は派遣などの非正規雇用によって調整されているのかもしれない。

工業化社会も、人口ボーナスのように総人口に対する働く人の割合が上昇し、経済成長が大幅に促進されるような、ある種恵まれた時間は二度とやってこない。

しかしながら、もう二度とやってこない右肩上がりの経済成長を前提とした社会制度は今も健在だ。

参考にした経済産業省の若手が作ったプレゼン資料が解り易いが、時代は変化し、人々の生き方はまるで制度から溢れ出ているようだった。これらの人々を昭和の制度がカバーできるのだろうか。

今社会は情報化社会への移行もあり組織中心から、個人中心に移行しつつある。そして経済の状況は昭和の制度下での安定した社会の実現を許すことは無いだろう。それは現実的ではないからだ。

このような状態で人々が安心を求めるのは自然な心理だと思う。安心するためには権威や組織中心に回帰すれば良いのかもしれない。ただ、価値観がこれほど多様化した現代でそのようなことができるのだろうか。そして、情報化社会で個人の豊かな発想と選択を活かして、思い切った決断をできるようにすることが長期的に豊かな社会の実現に繋がるのではないだろうか。

高度経済成長を前提に作られた社会制度の中で私たちは生きている。

しかし、正社員になって定年まで勤める人も少なくなり、そもそも正社員になれないまま一生を終える人もいるのではないかという雰囲気すらある。若者の正社員比率は所謂バブル世代と比べて極端に低い。

そして、昭和の価値観と年金制度の中で、高齢者も定年後働きたいが、働ける場所が無いし、人との繋がりを持てない。母子家庭の半数は貧困で、社会貢献意識の高い若者は活躍ができない。

ヨーロッパでの旅行と調査を通じて、各国はベーシックインカムでそれぞれの国の問題を解決しようとしていたことがわかった。フィンランドやオランダでは雇用を促進しようとし、カナダでは貧困を解消し、国民の健康を高めようとしていた。

日本では、このような昭和な現状の中で上記のような年齢に縛られない社会制度を実現し、複線的な社会参画を促して持続可能な社会モデルを築くことが、日本におけるベーシックインカムの役割ではないだろうかと私は考えている。