Ljubjanaには早朝到着した。バスターミナルは駅の近くにあり、朝4時でも24時間営業のBarがある。
飲み物はちょっと高い…あとユーロが使えて助かった。Barのトイレの便座はどっかに行っていた。
自分以外にもイタリア方面から来たバックパッカーが眠そうにしながら酒をすすっていた。

朝の8時くらいまで時間を潰し、ホステルに向かった。その途中にカジノがあるが、そこはBarよりお金が無くなる危険性があるのでお勧めしない。

ホステルに到着したが、「チェックイン時には電話しろ」と書いてあって、ちょっと不便だ。
電話して人を呼び出す(電話無かったらどうなったんだろうか…怖い。というか不便)

そしてどうにかホステルにチェックインしようとしたが、「チェックインは2時だぜ。あと30分くらいからフリーツアーがあるから暇つぶしに参加して来たらどうだ?」と言われ、眠い目をこすりながら参加した。

集合場所は教会の前のデカめの広場で、常に雨が降ってるよ!的なモニュメントがある。
夏で気温が高いので、何気なく自転車で雨ゾーンに突っ込んでいく人が見受けられる。
なんとなく人が集まったところで、ツアーの参加者名簿が回された。

その後ガイドさんたちが「はーい。じゃあここから右の人は私がガイドでーす」とか言って人波を3等分していく。

アサインされたガイドさんは、黄色いTシャツでそこから派手目のブラが透けてる感じのブロンドの人だったが、別に珍しい光景ではないので、皆スルーしていた。

ただツアーに参加した割には眠たくてわりと上の空気味だった。ガイドさんは自分たちを連れて、3つの橋を案内した。一つはリュブリャナの象徴である龍の像がある「龍の橋」、2つ目だけど、三本橋、そして南京錠のLove lockがいくつも見られるロマンチックな橋だ。しかし、名前は「Mesarski most(肉屋の橋)」である。

 

肉屋の橋のところでガイド氏が「スロベニア人はいろんな肉を食べます。牛、豚、鹿…そして馬かな」というとスロベニア人以外なんかドン引きしているのが印象的だった。たぶん「馬」のところだと思う。

シンガポールでも「日本人は馬を食べるのか!?」って言われたことがあるので、たぶんここだろうという憶測である。

その後、色々教えた後に「ガイド氏はこの橋の端っこがプラスチックで透けてるので、パンツが見えないようにここで止まりました」と言って笑いを誘い場の空気を元に戻した。

ガイド氏曰く、リュブリャナには震災被害の歴史があるらしい。スロベニアと日本にはたぶんいくつか共通点がある…馬食べるとこも含めて… 1回目の震災の跡は街の再建はルネサンス様式で行われ、1895年の2回目の震災の跡はWinner Secession(ウィーン分離派)様式で行われ、時代の流れが見て取れる。この2回目の震災の後にリュブリャナ出身のJoze Plecnikが活躍した。街の中に彼の作品はとても多いらしい。

そして、ある教会の扉の所に連れてってもらった。ここの扉はスロベニアの歴史を凝縮しているらしい。
扉にはユーゴスラビアからの独立時のローマ法王の像がトップに、その下には歴史上のいろいろなことが彫られているらしい。聖書や信仰や戦争などについて…

参加者の一人が左下の子供を連れて馬に乗った描写は何?と訊くと、「あぁこれはね。トルコ系の侵攻者(マジャール人?)が街から子供を誘拐して、自分のところに連れて行って訓練するの。母親はすごく悲しかったと思うわ。それで誘拐した子供を兵士として訓練した後に、自分たちのOriginの民族に差し向けるのね。それで母親はあれが自分の子供だ!って知ることになるっていう歴史…Sad storyね」みたいに答えてくれた。

なんでローマ法王なのかというと…

スロベニアはユーゴスラビアの中では経済的に恵まれていたらしく、独立を考える。まぁそろそろ自由になろうというわけだ。それでユーゴスラビアからの独立を宣言した後、戦争状態になるが、今の隣国に当たるクロアチアも「俺らも独立するわ」と言ってスロベニアまで兵士を送る術が無くなり、戦争は10日間で終結し、そこからスロベニア独立戦争はTen-day war(10日間戦争)と呼ばれている。

その後スロベニアをいち早く国家として承認してくれたのがバチカンだったことから、その感謝の意を示すために大聖堂に教皇の顔が彫ってあるらしい。教会の名前は「聖ニコラス大聖堂」と言う。

 

そこからガイド氏は一団をリュブリャナ大学の図書館の前に連れて行った。スロベニアは民族的にはスロベニア人だったけど、フランク王国、オーストリア、ユーゴスラビア王国、イタリア、ユーゴスラビア共和国連邦と完全に独立できているわけではなかった。しかし、スロベニア語は弾圧されることはなかった。

ただ、言語の影響力という要素があるので、スロベニア語の本は貴重だったらしい。

戦時中、イタリア軍の飛行機が飛行場と間違えて着陸(墜落)して、本が失われたという説明には耳を疑ったが本当のことらしい。(どうしたら間違うのだろう…)

図書館の1回は黒っぽい感じで、上の階に行くほど明るい壁紙になるらしく、大学1年の時に「何が何だかわかんねぇ」みたいな状態から頑張って勉強すると視界が開けてくるよみたいな意味だそうだ。
(ただ学生しか入れない)

その後ツアーは終わりとなり、ツアー自体はチップベースで存続しているということなので、お金がない自分は2ユーロくらい払った。

 

そのあと、宿に帰ってチェックイン、そこから3時間くらい寝る…

で、起きたあとは、山の上にある城にどうにか行ってみることにした。

ケーブルカーが存在するが、なんだかお金がかかりそうだし、せっかくなので裏道から歩いて城に行く。
道が本当に繋がっているか不安だったが、なんとかたどり着けた。
途中ランニングしている人や、マウンテンバイクで探検している人たちともすれ違う。

そして山城にたどり着いた。12ユーロ払うと城の中に入れ、砦の展望台に登れるらしい。

最初に城の中をうろうろ、博物館のようなものがあり大砲が置いてあった。
中にはちょっとしたものが入っており、大砲に入れて、それを送り合うっていうみたいな話を思い出していた。なんかそんなほっこり系の話あったな…
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そして棒になった足を持ち上げて、塔の一番上までたどり着くと、良い風が吹いていて暑さを和らげてくれた。

 

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