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 朝起きると、シーツのお兄やんが起きていて、シーツがあった場所にはそいつが散らかしたらしいゴミが散乱していた。そして、しばらくコルカタの気配のないまま、列車は走り続けた。列車の中にいた時間は26時間に及んだ。

 終着駅に着く時間を忘れて、列車が走るままに任せていたら、次第に線路が増えてきた。列車はコルカタ、ハウラー駅の手前で何度か運転停車をして、ハウラー駅のホームにゆっくりと進入した。ハウラーは行き止まり式の駅で、列車の折り返しに時間が掛り、ハウラーを終着としていない列車は、どうやらここで遅れ始めるようだ。

 列車から降りると、タクシードライバーが煩い。サダルストリート、300ルピーだ!安いだろう?とか言ってくる。インド人のタクシー屋はほぼ嘘つきでボッタクリだ。そのまま歩いて駅を出る。

 重い荷物を引きづって、駅前の道を左に曲がり、そのまま歩き続けると、やがてハウラー橋に差し掛かる。私の後ろから、痩せた労働者が頭に重たいであろう荷物を載せて、対岸のコルカタ市街まで何度も往復していた。その中にはおじさんだけではなく、おばさんの姿もあり、「絶対長くは生きられないな」と感じさせる光景であった。

 スモッグの中のハウラー橋を何も思うことなく、ただひたすらに荷物を頭の上に載せて歩き続けるのであろう。その下をガンジスの支流のフーグリー側が泥を流しながら、流れ続ける。行く川の流れは絶えずして、同じ光景がひたすら繰り返されているような感じがした。

 ハウラー橋を抜けて混沌とした道をバスやトラックなどの大型車が歩行者を脅かしながら走っていた。そこをなんとかマハトマガンジー(MG)ロ―ドに抜けた。ガンジーがインドを独立させたとき、何を思ったのかはよくわからないが、そこには歩道で選択をする男や、自己中心的に走り続ける車と騒音で溢れていた。

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