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 翌朝、5時に目が覚めた。部屋が乾燥して水が飲みたくてどうしょうもなかった。寝る前に水は1本買っておいた方が良いかもと後悔した。

フロントの人に水をレストランから買わせてもらうよう頼んで喉を潤した。

その後、ひと段落し、タージマハルへ、6時くらいに出て、西門で1000ルピー払いチケットを買う。

タージマハルは日影が全く無いので、朝涼しいうちに行くのがおそらくベストだろうと思った。

 チケットを買い、列に並んで開園を待っていると、ヒンドゥーのインド人が、自撮り棒を売ったり、500ルピーで列に並ばないで入れる!とか言っていたが全部無視をした。他人の宗教も容赦なく金儲けに使う所がインドっぽい。

 ブッダガヤも、バラナシも、アグラもインド人にとってはお金としか思っていないようだ。ガイドなのか自称ガイドなのかわからない人も多数紛れている。

 後ろにいるアメリカのおっさんと「マジで商売事ばっかりだよね」とか言って二人で笑っていた。

入場の際に大理石を傷つけないように、靴にする被せ物と500ミリリットルの水1本がもらえる。

 そしてタージマハル開園、ぞろぞろと少しずつタージマハルの敷地内に入っていく。中央の池から左右対象の建物がそこにあり、めったに感動しない自分でもさすがにちょっとすごいなと思った。

 普段のインドからは考えられないほど緻密だが、これやったのイスラム系王朝だしなと思い出して妙に納得する。そしてタージマハルもペルシャ様式の建物だ。

 タージマハルの写真をなるべく均等に取った後、タージマハルの中に入った。その中には王妃の棺があり、その横に王妃より大きなシャージャハーンの棺がある。かなりアンバランスな感じだが、これは権力の結果ではなく、憎しみの結果そうなったということらしい。

 タージマハルの中にも鳥たちが入り込んでおり、文化遺産など気にせず好きに飛び回っていた。そしてタージマハルを出ると、ヤムナー川を望む庭園が反対側に見える。ここに黒大理石を使った自らの墓を建てたいと考えていたシャージャハーンだったが、先ほど見たようにそうはならなかったようだ。

 本当はタージマハルの中は宝石でいっぱいだったようなのだが、ヒンドゥー教徒によって略奪されてしまったらしい。

 この時、タージマハルの右側の尖塔はこの時工事中だった。そしてタージの周辺にはモスクがあり、一部の人もそのモスクを見学に行っていた。

 日が昇り暑くなってきたので宿に戻って1時間ほど眠った後チェックアウトをした。

タージマハルを見た時点でアグラフォートを見たい気持ちはなくなっていた。100ルピー払って駅へ向かう。今日はもうデリーへ行こう。

オートリキシャのドライバーは友達のバスだと300ルピーで行けて安いとか行ってくるが無視する。そして駅に着くと、違う人がまた来て「友達のバスなら150ルピー」とかいろんなことを言う。駅の切符売り場に行くとアグラ駅は3日前のチケットしか売らないみたいなことが書いてあって、今日の指定席は既に満席と言われた。仕方なくGeneralと呼ばれる自由席に乗ることになる。ニューデリーまでは90ルピーだ。

Generalは別の意味でFullだった。列車のドアから人がはみ出したまま走り出す。

Generalの混みように唖然とする。なんとか乗り込み、荷物を棚の上に置く。荷物棚には荷物だけではなく人が寝っ転がっていて邪魔だ。そして荷物棚で寝ているやつが一番快適そうである。

このGeneralは走るスラム街とか、無法地帯とかいろいろな呼び方があり、実際キセルで乗っているインド人も多いらしい。リキシャのドライバーが自由に進入できる駅構内だけあってなんか納得である。駅員は仕事をしてほしい。

なんとか居場所を確保する。インド人は1人用の席に2人で腰かけたりして、他人に迷惑を掛けつつも自分の快適さを確保する術に長けているらしい。

そこに一人熱中症にかかったようなインド人のおばさんが来た。「具合が悪くてきついから座らせてほしい」みたいなことを言っていた。5分後に席に座ってたおじさんが折れて、その人に席を譲り、おじさんは床に座り込んだ。意外と優しいんだなと感心したが、おじさんも熱中症かってほど汗だくであった。

そこにインド人の若いカップルとその友人(女性)がやって来た。さっきの具合が悪そうなおばさんの席に無理やり押し込んで、「その友人」と2人座ることになった。椅子と椅子の間の床に座ってたおじさんは抗議していたが、「あんたも足を延ばせばよいじゃない!」と彼女の方に言われていた。彼氏は疲れているらしく、椅子に顔を押し付けて俯きながら立ったまま寝ようとしていた。

彼女の方をセクハラしそうなおっさんから守るため、それなりに気を使うと、気に入られたらしく「Are you a tourist? I also want to go other countries」とか言われる。久々にまともに英語が話せそうなインド人に会えたなって思えた。

「学生?」って聞くと仕事をしているらしく、パンジャーブ州でお米のマーケターをしているらしい。

「大変だよね。時に異様に安かったり、高かったりして、でも価格が高い場合、中間業者がOverchargeしてるから高いのかもしれないし、適切な価格はいまいちわかんないよね」と訊いた。

彼女は本当にそうだけど、実際の価格はやっぱりかなり高いと言っていた。

「なんか旅行してて、インドはかなり難しいSituationかもね。海外で働くとかもあるよ」と言うと、

「そうなの? 難しいの?」と彼女は驚いたように言った。

そこで、「インドは発展しないと思っている。確かにITとかもあるけど、中間搾取(Squeezing)がかなりひどいし、やっぱり経済発展をして良い社会を作るには誠実さとか、人の気持ちを考える能力が必要じゃない?」と言うと彼女は少し納得したようだった。

「インド人を辞めて、海外の習慣を身に着けて能力があって誠実なら世界はあなたを歓迎してくれるよ」と言ったら、「試してみる」と言っていた。

実際にマレーシアやシンガポールではインド人も中国人動揺に、「かなり質の悪い人」に位置づけられるので、この点はかなり大切なのではないかと思う。

こうして周りの人から質問を受けたりして、ニューデリーに到着した。

暑いメインバザールを抜けて日本人宿に到着する。やっぱり日本人宿はインドとは離れた場所にあり、精神的にはかなり安らぐ。インドの未来の世代はこの国をどう変えるのだろうか。そこにこの国の未来が掛かっている気がする。

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