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この日は武昌駅に行って、広州行きの切符を買おうと思った。夜11時発車からの第1希望から第5希望まで夜行列車のリストを書き、硬卧で席を取ろうとしたところ、「都没有(全部無い)」と言って突き返される。いったん列車のことは忘れて、博物館に行って目的を達成しようと思い、バスで博物館に向かうことにした。

 中南財経政治大学にあるお金の博物館に行ってきた。武昌駅から538番のバスに乗り、1時間ほどかけて終点まで行き、そこから大学構内を歩くという長い道のりであった。ちなみに武漢市はたぶん大学の街と言っても過言ではなく、すごい数の学生が武漢で学生をしている。また、大学の面積もすごく広い。

 武昌駅からバスに乗る。2階建てバスは1.5元と書いてあるので、1元と5角を入れたところ、「両塊(リャンクァイ) 両塊(リャンクァイ)」と言われる。中国では1元のことをイークァイというので、この場合は「2元だ」と言っているのである。というわけであと1元を投入し、5角はあきらめる。(1元は10)

 バスに乗り込むとなんとなく2階の一番前に陣取るが、ひやひやな運転が始った。バスのみならず、一般車もウインカーなしの車線変更を繰り返し、バスにぶつかりそうになると、バスがクラクションを鳴らす。ところどころに思い思いの停車をしている電動バイクを避けるため、バスも完全に車線に収まっているわけではない。こんな運転にしばらく緊張をしていたものの、人間というのはどうやら慣れの生き物みたいで、寝始めてしまった。起きると大学の最寄りのバス停に到着する。湖のほとりの静かなバス停であった。

 そこから、バスを降り、雰囲気とは裏腹の少し危なっかしい道路を渡り構内に入り込む。構内に商店が出店していて、大学が一つの街のようでもあった。街と大学の境目はなんだか曖昧である。電動バギーで移動する生徒の脇をとぼとぼ歩き、やっと図書館についた。貨幣博物館はこの2階に位置する。

 2階の入り口から入り込むと、警備員のおじさんがいて、「今日はもうやっていない。明日に来い」みたいなことを言う。あれ、おかしいなと思いつつ、スマホで調べると、やっている時間なので、「教我什么時候博物館開?」とか書いて見せると、「そこにあるからもう入れ」みたいなめんどくさそうな感じになり、図書館内への進入に成功する。図書館の1画にある小さな博物館に入り、中身を見始めると、貝銭のコーナーで床がみしみしと音をたて始めて掃除のおばちゃんに見つかる。「誰かいるのか?」みたいなことを言っているので、おばちゃんに「もう閉まるのか」と筆談で聴くと、おばちゃんは「誰かから紹介はあるのか」というので、没有と答えると、進来星期一!というので、博物館の外に出て途方に暮れた。

 それからしばらくして、何かの集会らしく、大学の職員らしき、すこし知的な顔をした人が現れた。その人に改めて聞くと「你可以看(みていいよ)」みたいなことを言うので、事情を話すと、英語で話し始めてくれた。「You can enter and see all of them」という。一緒に途中まで入って、床に問題があるから気を付けろと教えてくれて、「If you have question, maybe you can ask me」と大変親切だった。

 博物館に入ると、古代中国の貝銭、そのあとの刀銭、そして歴史の時間に見た和同開珎や寛永通宝に似た円形のお金があった。その他にも橋の形をした橋銭なんてのもあったが、「持ち運びに不便だった」との説明が付け加えられていた。王朝ごとに円銭に書いてある文字や種類が変わっていた。中国の一番初めのお金は貝銭だったが、中国は広く場所によって出土したお金の形は違っているらしい。

 次に中華民国時代に発行された、中国銀行の銀行券や、それとは違う中国農業銀行の銀行券、広東省銀行の銀行券を始めとする各省の銀行券が展示されていた。その他にも日本の軍票などが展示されており「恥辱の歴史」みたいなことが書かれている。英語でJapanese governmentと券面にあるので、日本銀行券ではなく、政府紙幣の扱いなのかもしれない。その他にもアメリカの花旗銀行ことCiti Bank New York Ltd.などが発行し、中国で流通したお金が展示されていた。

 また、中華民国時代の雇用契約書などが展示されており、「王先生の給与は1ヶ月90元、もし怪我とか病気とかをして働けなくなったら、この雇用契約は無効になる」みたいなことが書いてあり、結構シビアだなとか思った記憶がある。

 展示を一通り見て、疑問に思ったことがまぁあったので、訊いてみることにしようと思った。これは筆談と英語で訊くことになった。

質問1.中華民国時代、各省の銀行で個別に銀行券(紙幣)を発行していたようだが、各省の銀行と、中央銀行券は等価で交換で来たのか? また各省の銀行間ではどうだったのか。

No. Before 1938, China did not have the central bank, so each province has each bank notes. In this era, for example, if you travel from Shanghai to Nanjing, you can’t use Shanghai money.

So how did they exchange it?

Actually, they can’t exchange in their bank, but maybe some people do it individually, and they can be exchanged through U. S. D..

Oh I see… U. S. D.

古代中国で、各王朝ごとにどうやらお金が違うようなのだが、一つの王朝が変わると、貨幣も全部変わらなければならないのか。

Yes. They should be changed, since dynasty has been changed.

So they collect money from the people and exchange to them?

I am not really sure, but should be so.

近代中国では既に利子の概念があったのか。

Yes, of course we have, but it is different word, 「利息」.

中国では利息と書いて、発音が「りし」だということを知った。

中央銀行ができる前、中国の貨幣制度はまとまりがなく不便だったようだ。

中央銀行は一種のHard currencyとして中国国内で米ドルに取って変わり、国としての貨幣制度のまとまりも出てきたのかもしれないなんて思った。

その後 How do you know our museum? とか聞かれた後、博物館の入場者リストに署名をし、写真を撮られて、大学を後にした。メールで写真を送ってくれるらしいので、これを使ってなにかしてみようかなと考えている。

 帰りは6時を回っていて、道が大渋滞だった。地下鉄の駅が見つかれば時間の節約になるので、余計にお金がかかるが、地下鉄を使うのも手だろうと思う。ちなみに途中で降車する場合、降車口の近くにしか、降りる旨を運転手に伝えるボタンがないので注意が必要だ。

渋滞にはまり、1時間少し掛った後で、バスは武昌駅に到着した。

つづく