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 220日の夜、南京のホステルに日本人女性が来た。彼女はその後ネパールにいくらしい。南京で何を食べ、どこに行くかということに聞かれ、やっぱり「あそこ」行こうと思ってると話した。中国政府が作った南京大虐殺の記念館である。最近アパホテルの本について報道や、新宿でのデモ行進などがあり、話題になっていた。タイムリーな感じもする。

 

 彼女曰く、南京大虐殺の記念館は思ったよりこじんまりとしていて、展示もなんか雑な感じだったという話だった。いろんな人のレビューなどを見て考えつつ、あまり行く必要は感じなかったし、行くとしても優先度が低いように思えた。

 インターネットで下調べをしていたところ、至る所で中国が主張する犠牲者数、300,000の数字が出てくるらしいが、犠牲者の名前は未だにわからない点、当時日本軍と戦闘していたのが国民党兵士であったため、共産党があまり実態を把握してなさそうということもあるだろう。そして南京大虐殺記念館と同じ1980年代に建てられたもう一つの施設「雨花台」について知ることもでき、そこと比べてみようということを考え付いた。「雨花台」の忠魂祠は中国共産党員の募金によって完成したそうだが、南京大虐殺記念館には日本社会党の田辺という人物が資金を提供しているらしい。田辺氏が大虐殺の記念館を作るよう中国政府に提案したところ、資金難で躊躇されたからということだった。

 

 そして百度によると、事の発端は1982年の教科書事件という記載がされており、日本では「教科書誤報事件」というらしい。大手マスコミが歴史教科書について、日本の文部科学省が「侵入」を「進入」に書き換えさせるよう指導したという報道を誤報したもので、これにより、人民日報が初めて南京大虐殺(南京事件)について解説し、中国で話題になったことが発端であった。私の生まれる前の話であるが、なぜこのような誤報に至ったのか、またその後も朝日新や所謂進歩的文化人(なんじゃそりゃ?)はこの件について誇張を行い、朝日については歩兵23連隊報道など誤報を繰り返す。つまりこの件が無ければ今のような緊張した外交関係には至っていなかったのではないかと考えることができるし、ひょっとしたらこの件が中国共産党が宣伝を行う根拠となった可能性もある。

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