その夜、フエからハノイに夜行列車で移動となった。フエでお世話になったホステルに、タクシーが送迎で来た。ホステルの人の知り合いらしく、人間関係があるからかボラれるとかそういうことはなかった。ベトナムドンは単位が細かく、タクシーのメーターもなんだか賑やかだ。
おじさんと少しだけお話をして、タクシーを降りる。おじさんのお父さんが北ベトナムの兵士だったらしい。ベトナム戦争ってつい最近あったんだなと実感する。

ベトナム国鉄のフエ駅は西洋風の建築だけれど、そんなに重圧な感じはしなかった。駅の立派さのわりには構内は簡素に作られていて、切符を出してプラットホームに出る。ホームでは食べ物、バナナ、そしてトイレットペーパーが売られていた。一応トイレットペーパーを買っておこう。

暗いホームに列車が滑り込む。この列車はホーチミンから来ていて、2回目の夜を迎えるらしい。始発から終点まで2晩3日かかるようだ。列車は12分遅れたが、まぁ定刻だった。平べったいホームから古めかしい客車へ上がり、コンパートメントを探す。
コンパートメントの扉を開けると先客がいた。おばさんだった。ベッドに荷物を置いて、窓から外を覗き込む。列車がゆっくりと走り出し、街の明かりは疎らだった。列車は駅を出るとすぐに長めの鉄橋を渡り、河を超え、私は北へ向かう旅の途上であるということを実感した。カーテンを閉め、ベッドに横たわる。そして鞄の上に枕をしいて、静かに瞳を閉じた。

目を開けて起き上がると、なんかデラックスな客車が停まっていた。バスと違って寝起きはとてもよかった。やっぱり電車で平気で寝る日本人だからか。ぐっすり寝れた。客車をよく見ると、ドアがボロさを出している。

起きたらまずトイレに行く。バスと違って我慢しなくて大丈夫だ。しかもこの列車、洋式でウォッシュレットがついている。正確に言うと、シャワーだ。まぁそれは見てのお楽しみである。マレーシアでよくみるやつと同じだが、水の勢いに難ありである。
しばらく黙って座って景色を見ていた。景色はなんだかハロン湾に近いからか、カルスト地形っぽい。そして時々、タワーだったものを削ってセメントを取っているのかもみたいな景色も目にする。

 

 

景色を見てるとお腹が減ってきた。しかし、車内販売は無い。予め買っておくべきだったのかもしれないが、車内を探検してみよう。何か売っているかもしれない。社内を探検した結果、この列車の中には、ベッドの客車と個室の客車、そしてリクライニングシートの客車があって、木の座席の客車もあった。それを一通り抜けると、お目当てのものが繋がっていた。

食堂車である。フォーが売っていた。安かったし、美味しかった。そして寒いからなおさら良い。北ベトナムの景色を見ながら、1時間くらいフォーを食べていた。食堂車はガラガラだった。列車はまだまだハノイにはつかない。時間を贅沢に使おう。


食堂車はなんだか大衆食堂が客車の一画を占めているような、そんな空間だった。

自室にもどって、ガイドブックや本を読んだりして時間を潰していると、ハノイが近づいてきたようで、車内放送が始まった。その内容はやたら長かった。特に日本の電車みたいに乗換のご案内をしているわけではなさそうだ。

ハノイに到着した。広げていた荷物をまとめてホームに降り立った。フエと違って跨線橋を渡る。駅舎に入り、時刻表を見ると、いろいろな路線が書いてあり、少し興味深かった。

駅の外に出ると、寒くほこりっぽかった。いきなり中国人っぽいおっさんに巻き舌の中国語でまくしたてられ、なんかを要求しているらしいがわからないふりをして無視する。ちょっと怖い。

街中を見てみると、ハノイはホーチミンのような熱帯で爽やかな感じではなく、英語の通用率もホーチミンに比べても高くないようだった。代わりに中国語で話しかけられる率が高くなる。

でこぼこの道をキャスター付きトランクを持って、道に迷いながら、どうにかホステルについた。そこは良い感じに木陰になっていて、埃がなく安心できそうな路地にあった。

ホステルに入り込むと欧米のコウカジアンのTeenが受付に立っていて、ちょっとびっくりした。英語で泊まりたい旨を話し、パスポートを渡すとあっさり部屋が取れた。起きたばっかりなのにどっと疲れてしまった。ひとまず寝よう。

つづく