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 ハノイに着いてからは驚くほど順調だった。なんとなく勘でいつものハノイ駅から北東にあるホステル街にたどり着く、中国に比べてコーカジアン(所謂白人)が本当に多い。そして3月だからなのか、あまり日本人は見かけなかった。

 ホステルはたったの5ドルだった。中国と比べると半額位物価が下がっている。おそらくそのため、中国への輸出も増えているかもしれない。人件費も安いだろうし… そして道路は中国よりバイクで混みあっている。歩道もそんなには綺麗とは言えない。

 荷物を置いた後、街の風景が変わることはよくあることだ。なんというか余裕ができれば見える景色も違うということだろう。この日はホアンキエム湖をうろうろして、なんとなくハンバーガーやバンミーを食べたりして過ごした。東南アジアはなぜか落ち着く。ずっとそこで働いていたからかということはよくわからない。そしてインターネットもわりかし自由になった。

 今日はそのまま就寝した。自分のドミトリーでアジア人は自分だけだった。あとはみんな欧米の人だったが、なんかオーストラリアでの生活を少しだけ思い出す。ただ、みんな働くという感じではないので、まったりとした雰囲気がホステル街一帯に流れていたと思う。ではおやすみ…

 翌朝8時ごろに起床した。シャワーも浴びないで駅へ向かう。駅でVinhという南の街への切符を買った。そしてこの日も街をうろうろする。別にこれと言ってやったことは、それ以外なかったと思う。ハロン湾も過去に来てたので、今回はいいかななんて思った。朝食はバンミーになった。フランスパンが美味しい。この一帯は外国人観光客が多いので、バンミーもベトナム本来のものの他に、ケバブを挟んだものや、卵とハムとか、まぁいろいろ存在する。観光地化はすこし寂しいが、その一方でその恩恵を受けている自分がいることも確かだ。とりあえずケバブのバンミーは美味しかった。

 その日の夜、Vinhに向かって出発した。22:30分発の夜行列車で、終点がVinhなのでちょっと安心だ。駅までに着く段階で重い荷物をひぱったせいか、少し疲れた。お金を降ろして、駅で改札を済ませ、列車の中に乗り込む。自分の前の席はおばあさんで隣はおじさんだった。しばらくすると、ベトナム人のおばさんが来て、「あんた自分の指定の席に座りなさいよ」っぽいことをまくし立てていた。おじいさんと席は少し離れて中途半端なところにおばあさんが移動し、5歳くらいの太った子供と、その保護者らしきおじいさんが座った。

 子供はわりと生意気ざかりらしく、シートのリクライニングをおもいきり下げてきて安眠を妨害する。おじいさんはそれをたしなめるが、あまり強くは言わないので、子供は飽きるまで安眠妨害を楽しんでいた。ベトナムでは戦争後、子供にあまり辛い思いはさせたくないという親が多く、子供は肥満傾向にあるらしい。そして、都市生活者だとドイモイ政策以降の経済力で何でも買い与えられて甘やかされることが多いらしい。まぁ自分もあまり強く言える感じではなかったし、なにしろ言葉が通じない。となりのおじいさんも保護者のおじいさんもベトナム語Onlyだ。

 子供が疲れて落ち着き、列車が走り出す。車内で車掌さんが水を配り始めた。踏切では大量のバイクがせき止められ、まだ電気のついたオフィスビルなんかが見えた。ベトナムの街はまだ寝る気配ではない。

 そして列車が走り始めて30分ほどたったとき、ふと車窓に目を移すと、そこには暖簾の先に見えるピンク色の室内に露出の多い女の人が3人くらいいる民家のようなもの、VIPマッサージと書かれた看板など、夜の街そのものだった。これが世界の車窓からだったら、あやうく放送事故になってしまうところだった。線路わきはカモフラージュに使えるのだろうか、こうして列車は走っているのだけど。

 やがて列車は田園と、国道沿いに出て、時折あやしい店が顔を出す。そんな車窓となっていた。車内は消灯され、景色を見ているうちに眠りについた。

 朝起きる、といってもまだ510分で外は真っ暗だった。車内でぼけっとしていると、電気がつけられ、車内放送が始まる。車内放送ではベトナム語で「まもなく、国父ホーチミンの生まれ故郷、Vinhに到着です。」みたいなことを放送しているのだろう。そして、その後何故か知らないが、ビーチリゾートニャチャンの宣伝が英語で流される。えっ? ニャチャン?とか思っているうちに列車はVinhに到着した。

 Vinhは静まり返っていたが、なにかレストランの仕込みをしているらしき街の人とときどきすれ違う。駅から離れたバスターミナルに歩いて向かう。思った以上に遠く、予め入手していた情報では6時半にバスが出るようで、出発時間に間に合わない可能性が出てきた。急遽タクシーを使い、50000ドン徴収された。なんとかバスターミナルに着くと、大きなバスが沢山停車している。掃除のおばちゃんが「どこいくんだい?」と聞く。ラックサオ!と言っても通じないので、Lak Saoと書いて見せる。「Come」と言われついていくと、中年のおじさんがいて、紙切れのような無くしそうなチケットを120000ドンで売ってくれた。

 バスは730分に出発だ!飯食って、コーヒー飲んでそれからGOだな!とのことだった。そういうわけで、食堂に入り、ご飯を注文する。Ban gaというものがあったので、パンの絵を書いて確認する。「そうだ!」みたいな感じだったので、注文すると米麺のなにかがでてきた。

gaのところは鶏肉だったので、それだけは間違ってなかった。メニューを見返して、実際のバンミーのスペルは、Banh myだったことを思い出した。

 食事を済ませ、バスを待っていると、おっさんがどこかへ電話し始める。「ちょっとこっち来い」みたいなしぐさをしているので、ついていくとバスターミナルの外に出た。やがてマイクロバスみたいなバスが来て「えっ?これなん?」て聞くと、そうだこれだと言うので乗り込む。これで国境超える感じじゃなさそうだけど、ある意味こっからラオスって行く人少ないのかなとか色々なことを考えつつ乗り込んだ。

どうも列車で寝たりなかったみたいでまたうとうとし始めた。

 バスの窓ガラスに頭をぶつけ目が覚める。時間は830分くらいだった。隣にバイクマスクをした女の子がいる。どう考えても一人でラオスなんかいかないだろうと思っていると、彼女はバスを降りた。そこには姉のような人が迎えに来ていた。今日は土曜日、たぶん学校から地元に帰ったりするんだろうとか考えていた。よく考えたら前日ハノイの列車のチケットもわりと厳しかったんだっけとか考える。

 国境越えのバスは一方では地方交通の手段だった。時々謎の箱が積み込まれ、ちょっと先で降ろされたりしている。これが地元の商店にならぶのだろう。

 突然バスは村の真ん中に停車した。運転手のおっさんがなんか言っている。こっちを指さし、「ラオス?」という。それに頷くと、「降りろ」ってジェスチャーで降ろされた。ベトナム人青年7人と一緒に、村の真ん中で椅子に座っている。どうやら国境に行く別の車が来るらしい。ベトナムの村にはヘアサロンや、金のアクセサリーショップなんかもあって、なんだか可処分所得がありそうな感じであった。

 道路を行きかうバイク、大型トラック、バス、犬、ニワトリなどを眺めていると、なにやら古ぼけたバンが来た。後ろにベトナム団、そして助手席に自分が座る。運転手は「Speak English OK?」と聞くので、「OK」と答える。すると「Speak Viet OK?」と聞くので、それはちょっとダメと言っておく。

 ラオスとベトナムの国境に到着する。地方の国道みたいな道に20ftコンテナがごろごろしていてなんか妙な光景だった。コンテナを積んだトラックを縫って、出国審査台で、出国審査を済ませる。そのあと、車を乗り換えなければならないらしく、トラックの荷台に人が乗れるようにした何かに乗り換える。運転手が運賃を自分に要求すると、ベトナム人の青年団が「そいつはもう払っている」と説明してくれた。

 ラオスの入国の際に、入国カードを書く。自分が書いた入国カードを真似して、ベトナム団にペンを貸し、入国が完了。自分はなぜか入国料金(33,000KIP)を取られる。ドンを両替して支払った。この請求についてはあとでラオス政府に訊いてみよう。

 ラオスに入った瞬間、風景がのどかになった。というか山と川と、ときどき朽ち果てたような民家が見える。集落の豊かさがベトナムと比べてかなり落ちるなぁという感じだった。

 今日の目的地、Lak Saoに到着した。何もない。夜になると屋台が出たので、あたるかなと思いつつも串焼きを食べてみた。宿代はベトナムドンで払い、130000ドンだった。宿が綺麗めでよかった。

 宿主によると、明日ここからターケック行きのバスが出るらしい。60000キップのようなので、そのバスに乗ってみようと思う。

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