今日は8:00からのツアーに参加するので早めに起きる。
20分で支度をするとチェックアウトをして隣の旅行代理店に行く。重い荷物はホテルで預かってもらった。

ツアー会社とホテルがひしめき合うデタム通りに出ると、朝からバイクの音が聞こえる。

ツアー会社に到着すると、あたりには昨日は一人も見なかった日本人が多く、不思議な感じ。

どうやら日本語のツアーに参加してしまったようで、おばちゃんの団体さんと、日本人の20代後半くらいの人、そしてカナダ人とアメリカ人がバスに乗り込んでいる。

アメリカ人は日本語がわかるようだが、カナダ人は日本語を理解できないけど参加したようだ。ガイドは日本語を話すベトナムの人だった。

バスが走り出すとガイドさんは案内を始める。

「この辺は昔は水上生活者が住んでいて、今でもこの通り住んでいます」彼はサイゴン川の運河にあるボートを指さす。「あそこでご飯を作ったり洗濯もしたりしてます。このようにホーチミン市は貧富の差が激しいです」 「また、昔はこの辺治安が悪くて、こんな柵がある良い道路はありませんでした。みんな金曜日酔っぱらって帰った日には運河に落ちてましたね」とか言っている。

「あと見ての通りバイクが多いです。50㏄以下は免許が要りません。50㏄以上は500,000ドンを手元に準備しましょう。バイクは多いですが、不思議と事故は起きませんね。事故が多いのは金曜日です。お酒を飲んでバイクで走ると気持ちが良いですね。停まっている時はよろけてしまいますが、走っている時は良い感じです。」

ガイドさんはこんな感じでホーチミン市について話した後に、戦争の話をする。「この時はアメリカによって何万トンの爆弾が落とされました。学校では私は、アメリカは悪いって教わりましたが、今は中国が悪いって教わるみたいです。」とか話した後に、アメリカ人の参加者に「ごめんなさいね。でも昔の話ですから、今はアメリカとベトナムは友達ですね。」みたいな話をしてフォローしていた。

そしてクチのトンネルの入り口についた。欧米人に韓国人、そして中国人の参加者もいる。ガイドさん曰く外国人とベトナム人のトンネルは別れている。外国人用は観光用で、ベトナム人用は廟や仏壇のような感じになっているらしい。

最初にビデオで説明を受ける。ビデオは日本語で「残忍なアメリカ軍は…」とか言っていたが、「実際は南ベトナムで、2年間はアメリカ軍はいません」とフォローと「修正」が入る。

トンネルに入る前に落とし穴などの説明を受ける。穴の中に入ると毒針にやられて死んでしまうらしい。ガイドさんは「さぁ順番に入ってみましょう」とか冗談を言っている。

そのあと、トンネルに入る。人がしゃがんでやっと入れる大きさだ。

175以上ある人は膝が痛くなるだろう。中は真っ暗で空気は薄い。ただトンネル自体は数十メートル程度なのですぐに出口へ出られた。

そのあと笹の茶と芋(キャッサバ)をいただき、ホーチミンに戻る。

ホーチミンに戻る橋の車中、ガイドさんは南ベトナムとクチのゲリラ兵、そして北ベトナムの話をされる。南ベトナム軍に参加すると給与はかなり良いので、参加した人はいたが、敗戦後は金や土地を没収されてしまったらしい。一方北ベトナムやクチのゲリラは戦後警官や軍人などのベトナムで「偉い」地位についているという話だった。

そのため、クチへの道路はベトナムの一般的な道路よりかなり良いものになっていて、しっかりと舗装されているらしい。

そのしっかりと舗装された道路をホーチミン市に帰るバスの中で、ベトナムの今の教育の話を聞いた。今では中国の侵出に伴い、学校ではアメリカについてなるべくフォローしつつ対中関係の歴史を中心に教わるようだ。

中国との関係は、日本のように文化を導入したりという平和的な側面だけではなく、モンゴルの進行とTrần Hưng Đạoの関係やLê Lợiによる明からの独立回復、後漢に反旗を翻したHai Bà Trưngの名前は主要な都市の道路の名前となった。

アメリカとの戦いの時代は幕を閉じ、日本とも良好な関係が築かれているが、経済成長をして、舵を経済と軍事に傾けている中国との駆け引きは続いている。

私たちは人類として戦争から何を学べるのだろうと考える1日だった。

明日はいよいよホーチミンから出よう…

つづく